第3章 香港潜入 ソーの諜報任務
1.JSIA・秘密作戦会議
東京都内某所。ビルの地下深くにある極秘施設が、日本秘密捜査局「JSIA(Japanese Secret Investigation Agency)」の本部である。そこには日常的には一般人の目に触れない通信機器やサーバールーム、訓練施設などが集約されており、ごく限られた許可を得た者のみが出入りを許可されていた。
この日、チームリーダーの栗山秀和(通称ボス)は、自身のオフィスに主要メンバーを集めて会議を開いていた。メンバーとして顔を揃えるのは、ベテランの鈴木一歩(イッチ)、日頃は筋肉質の体を誇る吉田尚也(マッチョ)、若くして期待を集める村上宗徳(ムネ)、IT担当の山本伸吉(ノブ)、そしてパイロットの佐々木喜朗や分析官の峰不二子らだ。
もっとも会議の中心となっているのは、JSIAの期待の星である**大谷聡平(ソー)**であった。彼は陸上自衛隊の特別作戦群(SFGp)出身で、身長190センチの筋肉質。その恵まれた身体を持ちながら、頭脳明晰で作戦遂行能力も高い。今回の作戦のキーマンとして大きな役割を担うことになっていた。
スクリーンに投影されているのは、近ごろ世界を騒がせているサイバー攻撃の発生源を示す地図だった。アメリカと日本の政府機関サーバーを狙う一連の攻撃が起き、複数のセキュリティ企業や捜査当局が調査に乗り出しているが、いまだに確定的な犯人像はつかめていない。一方、JSIAは独自のルートでその情報源を追跡していた。
「ノブ、今回のサイバー攻撃について、わかっていることをまとめてくれ」 栗山が促すと、ノブはタブレットを操作して簡潔に説明を始める。
「はい。攻撃手法は典型的なDDoS攻撃が中心ですが、同時に侵入攻撃も試みられています。バラ撒かれたマルウェアによって、一部の政府系ネットワーク内部の情報が盗み出された可能性が高いですね。米国の情報機関も被害を受けており、FBIやCIAが捜査に動き出しています」
モニターには大量の通信ログの解析結果が映し出される。ノブの顔は真剣だ。
「攻撃元は海外の多数のホストを経由しており、その踏み台となるサーバーは世界各国に散らばっています。ですが、わずかな手がかりから推測するに、香港からの指令サーバーが全体をコントロールしている可能性が高いことがわかりました」
「香港か……」 ボスの栗山は静かに頷く。近年、中国政府による統制が強まる香港だが、同時に裏社会や反政府的勢力、諜報活動の拠点としても複雑に入り乱れている地域である。サイバー攻撃を仕掛けるには、香港という土地は極めて都合が良いというのがJSIA内でも共通認識となりつつあった。
「さらに気になるのは、彼らの攻撃パターンだ。表向きには日本とアメリカの政府機関を混乱させる狙いが見えるが、その裏でJSIAへのアクセスを試みた形跡がある。僕らの通信までも監視しようとしている証拠が残っていました」 ノブの言葉に、一同は一瞬たじろぐ。
「つまり、俺たちの存在がバレてる可能性が高いってことだな」 拳銃の達人・イッチが低く唸るように言う。
「そうだね。公式には存在しないはずのJSIAに対して、どこかのハッカー集団が興味を示し始めている。しかも発信源は香港……まさに怪しさ満点ってところだ」 ノブは苦笑いを浮かべながら、次の情報を画面に映す。
それは、香港のネットワーク上で見つかったハッカー同士のやり取りらしき断片的なログや、香港に本拠を置くと思われる謎のハッカーチーム**“センター”**という名前であった。
「“センター”……なんだそりゃ?」 マッチョが怪訝そうな表情で言葉を発する。
「我々も初耳だが、どうやら中国諜報部門と何らかの協力関係にある可能性がある。彼らが今回のサイバー攻撃を主導し、日本政府だけでなくJSIAも監視対象にしているみたいだな」 栗山が低く言い放つと、室内の空気が一段と張り詰める。
「中国諜報部門……中国共産党、人民解放軍か?」 ムネが確認すると、ボスはうなずいた。
「その線が濃厚だ。最高指導者の周平金やタカ派将軍の関羽瑠が国内を強引にまとめ上げようとしているのは、我々の耳にも入っている。その一環として、サイバー戦を仕掛けてきたと考えるのが自然だろう。そして、彼らは『日本がどう動くか』を非常に警戒している。だからJSIAにまで目を向けてきた」
そして、栗山はソーに視線を向ける。
「大谷、君に香港へ行ってもらう。実際に現地でこの“センター”の拠点を突き止め、可能であればメンバーを特定するんだ。アメリカのCIAも同じく香港で捜査を始めるはずだ。うまく連携して情報交換ができれば、こちらのリスクも減るだろう」
ソーは真剣な表情で一礼した。
「了解しました。現地での諜報活動、全力でやらせていただきます」
そこにマッチョが声を挟む。
「俺も一緒に行くぞ。海外任務でサポートが必要なら、なおさら二人以上の方がいいだろう? 格闘戦や逮捕が必要になったとき、ソー一人じゃ危険だ」
だが、ボスは静かに首を横に振る。
「今回はソロで行ってもらう。規模が大きくなるほど足がつきやすい。諜報任務は極力目立たない形でやるのが鉄則だ。大谷は特別作戦群出身で身体能力も高い。対処能力も十分あると判断している。マッチョ、イッチ、ムネ、それにノブは国内でサポートを頼む。現地との連絡やバックアップは万全にしろ」
マッチョは残念そうな顔をしたが、JSIAの方針に異を唱えることはしない。ソーも心の中では「一人か……」と若干の不安を抱えつつも、次第に闘志を燃やし始めていた。
「香港は、俺が対応します。向こうの様子を徹底的に洗ってきます」
2.香港への潜入
数日後、ソーはビジネス客を装い、成田空港から香港国際空港へ向かった。身分は一般企業の駐在員として偽装されており、荷物も少なめだ。香港に到着すると、すぐさまホテルへチェックインするふりをしてから、偽造した身分証を用いて別の安宿へ向かうという慎重ぶりである。
香港に到着したのは夜。空港からタクシーに乗り、九龍(カオルーン)半島の雑踏を縫って走る。その車内でソーはスマートフォンに仕込まれたJSIA専用の通信アプリを立ち上げ、ノブから送られてきた新たな情報を確認した。そこには“センター”のリーダーと見られる**“ゼロ”**という人物が、尖沙咀(チムサーチョイ)近くの雑居ビルを出入りしている可能性を示す断片的な写真が添付されていた。
「このビル……何かのオフィスがあるようには見えないが」 ソーは目を細めて画面を拡大する。どうやら一階はスマホショップになっており、その上は雑居オフィスがいくつか入っている。だが、表札らしきものは無く、全貌は分からない。
ノブからのメッセージにはこう書かれている。
「ビルの管理人は中国本土系の企業。そこの複数フロアが貸し出されているが、テナント登録されているのは小規模のIT関連企業のみ。しかし実体があるかは不明。いかにも怪しいよ。慎重に調べて」
「了解……」
ソーはそう呟きながら、タクシーの窓の外を見やる。香港のネオン街の華やかさが広がる一方、裏通りに足を踏み入れればトラブルの温床が待っている。自分はこれからその危険地帯に飛び込むのだと改めて覚悟を決める。
3.米国CIAとの接触
香港に着いて最初の朝。ソーは尖沙咀の小さなカフェで朝食をとりながら、CIAの担当者と落ち合う予定を取り付けていた。CIA側も香港支局の要員を常駐させているが、今回のサイバー攻撃が同時多発的に米国政府を襲ったことで、かなり神経を尖らせているらしい。
店内は欧米人観光客も多く、英語が飛び交う。ソーはスマホを見ながら、キャップを深く被って人目を引かないようにしている。すると、奥の席にそれらしき男性が一人座っているのが目に入った。30代後半か40代前半に見える精悍な顔つき、短いブロンドの髪。視線が合うと、彼はうなずいてソーを呼んだ。
「Mr. Otani?」(あなたが大谷さんですか?)
低い声で英語が飛んでくる。ソーは笑顔で英語で応じた。
「Yes, call me So. It’s a pleasure to meet you.」(ええ、ソーと呼んでください。よろしく)
男は名刺のようなカードを差し出す。だが表面には名前らしきものは書かれていない。
「アーロンと呼んでくれ。CIA香港支局の係官だ。昨夜、君の上司……ああ、JSIAの上層部と連絡を取った。簡単に言えば、俺たちも例のハッカー集団“センター”を追っている。中国政府の関与を強く疑っているからね」
ソーはオーダーしていたコーヒーを啜りながら、小声で会話を続ける。
「やはりアメリカ側も確信を持っているんですね。こちらも香港に拠点を持つハッカーチームが絡んでいると見ています。米国政府への攻撃はかなり深刻なのでは?」
アーロンは苦々しい表情を浮かべる。
「そうなんだ。少なくとも国防総省の一部データベースに不正アクセスされた形跡がある。それだけじゃない。連中はCIAやNSAの情報までも狙っている節がある。こちらとしても一刻も早く連中の拠点や指令系統を把握したい。で、君らJSIAは何を掴んでるんだ?」
ソーは慎重に言葉を選ぶ。
「正直なところ、まだ断片的な情報しかありません。ノブという同僚……ITの専門家が解析した結果、複数の攻撃が香港から指示されている可能性が高いと。チーム名は“センター”。おそらく中国本土の諜報部門と繋がりがあり、その背後には軍部の関羽瑠将軍や中国最高指導者である周平金が絡んでいる。政治・軍事ともに緊迫しているようです」
アーロンは頷きながらメモを取り、「HK Ops」と書かれたファイルに何か書き込む。
「了解だ。こちらも協力は惜しまないが、CIAは表に立ちにくい状況にある。香港警察との兼ね合いもあるし、下手に中国当局に睨まれれば政治問題になる。君たち日本の諜報機関も大変だろうが、直接的な捜査権はない。結局のところ、香港警察の動きも頼りにはならないから、我々はやるべきことをやるしかない」
ソーはカップを置くと、小さく笑みを浮かべる。
「それで充分です。同じ目的を共有している限り、少なくとも情報交換はできるはず。もしこちらが得た情報に中国政府の関与が確実に示唆されるものがあれば、提供しましょう。対価として、あなた方が“センター”の位置情報やメンバーリストを掴んだ際には私に教えてほしい」
CIAのアーロンは「オーケー」と短く応じ、握手の手を差し伸べた。
4.雑居ビルの探索
CIAとの簡単な打ち合わせを終えたソーは、その日の夕方にはさっそく現地調査を開始する。向かう先は、ノブが教えてくれた雑居ビルだ。明るい時間帯だと怪しまれる恐れもあるが、一方で夜になればなったで警備が厳重になる可能性もある。ソーは人通りの多い通りを装いながら、ビルの外観を確認する。
「確かに怪しいな……」 雑居ビルの入り口には、複数の企業名がプレートに書かれているが、そのほとんどが聞いたことのないIT関連会社の名だ。しかも同じ住所なのに会社が4つも5つも存在するように見える。看板も古い。
ソーはビルを一周し、裏口や非常階段の位置も確認する。裏にはゴミ捨て場があり、時折清掃員らしき人物が出入りしている。さらにその付近には監視カメラが取り付けられているのを発見した。市の防犯カメラではなく、おそらくビル管理会社が独自に設置したものだろう。
「このカメラはクセ者だな……」 なるべく顔を映されずに出入りしようと思えば、服装や角度を工夫する必要がある。ソーは周囲の目を気にしながら素早くスマホでカメラ位置を撮影した。
建物の1階には携帯ショップがあった。ソーは店内に入り、店員に話を聞くフリをして会話をしながら、何気なくエレベーターの位置や階段への扉を確認する。言葉を交わすうちに店員から興味深い話が聞けた。
「上のフロア? 前まではIT会社のオフィスとかあったけど、最近は見かけないね。夜遅くまでライトが点いているから人はいるみたいだけど、どんな仕事をしてるかは知らないよ」
ざっくりとした情報だが、やはり深夜に活動しているフロアがあるらしい。ソーは礼を言って店を出た。
5.小さな手がかり
翌日、ソーは現地のアンダーグラウンド情報に通じる協力者にも当たってみた。JSIAには国際的ネットワークがあるが、公的ルートだけではどうしても得られない情報がある。裏社会の噂は時として重要なヒントをもたらすのだ。
協力者は香港出身の華僑で、かつて日本の大学に留学した際にJSIAのメンバーと知己を得て以来、非公式に情報提供をしてくれている男性である。名を李健明(り・けんめい)。尖沙咀の小さなオフィスを拠点に貿易事業を営む一方、香港マフィアの動向にも詳しいと言われていた。
「久しぶりだね、大谷さん。日本政府の人が俺なんかに会いに来るってことは、また何か物騒なことでも起きたのかな?」 李は飄々と笑いながら迎える。ソーは表向きはただの知人として談笑を装った。
「実は香港に最近“センター”って呼ばれるハッカー集団がいるって噂を聞いてね。よく知らないんだけど、何か耳にしてないか? IT企業のフリをしてるとか、夜な夜な変なオフィスで作業してるとか、そういうの」
李は考え込むように顎に手を当てる。
「“センター”……確かにチラッと聞いたことがある。中国本土の諜報部門と繋がりがあるとかないとか。最近、香港でもいろんな事件が起きてるだろ? デモ隊の通信が妨害されたり、反政府系ニュースサイトがサーバー落とされたりしてる。あれ、裏で手を引いてるのが“センター”だって噂だよ。警察も本腰を入れて追っているわけじゃないみたいだけど、俺の仲間内でもあんまり近づかない方がいいって言われてる」
ソーは少し身を乗り出す。
「その“センター”、どこに拠点があるんだろう?」
李は首を振る。
「そこまでは分からない。詳しく調べりゃ危険が及ぶからな。ただ、どこかの雑居ビルに潜んでるって話は聞いたことがある。あとは、本土から“張飛”って名の諜報員が時々来てるらしいよ。まさか三国志の張飛みたいに名乗ってるわけじゃないだろうけど、コードネームなんだろうね」
「“張飛”……か。ありがとう、助かったよ」
李からの情報は、ソーが見込んでいた雑居ビルが“センター”の活動拠点である可能性をさらに裏付けるものだった。加えて、中国諜報部門の人物“張飛”というキーマンの存在が見えてきた。周平金や関羽瑠の直接の部下かもしれない。
6.ビルへの潜入調査
その夜、ソーは雨が降る中、例の雑居ビルに再び足を運んだ。これまでの下調べから、深夜帯にいくつかのフロアが確実に人の出入りがあることを把握していた。そこで、雨の音に紛れて外から様子をうかがい、可能ならば非常階段から侵入を試みる計画である。
深夜1時を回る頃、表通りの人通りはだいぶ減っていたが、香港の街は決して眠らない。ソーはフードを被り、傘を差してビルの脇に回りこむ。非常階段の扉は鍵がかかっているが、雨の中で視界が悪く、防犯カメラも濡れており、監視範囲が若干甘くなっているように見えた。
ソーはピッキング用の小道具を取り出し、数分かけてドアを解錠する。特別作戦群出身ということもあり、こうした作業は手慣れたものだった。ドアを静かに開けると、暗い階段が上へと続いている。足音を殺しながら5階まで登ると、そこには薄暗い照明と廊下が見えた。廊下の突き当たりの扉から、かすかに光が漏れている。
(あそこか……) ソーは息を呑みつつ、扉の前まで静かに近づく。すると、どうやらオフィスのように整然とした室内らしく、パソコンのファンらしき低い駆動音がかすかに聞こえる。複数人の話し声も聞こえたが、中国語とも英語ともつかない言語が混ざっている。
(“センター”のメンバーなのか? もしくはその協力者?) 集中力を高めて盗み聞きしようとしたが、防音がしっかりしているのか、はっきりした会話内容までは分からない。無闇にドアを開けるわけにはいかないため、ソーは小型の盗聴器を仕込もうと考えた。
だが、ドアノブ近くにセンサーらしきものが取り付けられているのを発見し、警戒心が高まる。下手にドアに触れればアラームが作動する可能性がある。そこでソーは方針を変更し、物理的な侵入ではなく、ワイヤレスの集音マイクを扉の外に密着させる作戦を取った。
胸ポケットから取り出したのはペン型の集音装置。極小のマイクロフォンを内蔵しており、壁や扉を介しての音の振動を拾うことができる。ソーはスッと扉の近くにそれを当て、どの程度音声が拾えるかを試す。
「……OK……エンター……」
ノイズ混じりにいくつかの言葉が拾える。しかし、断片的だ。『Enter』や『OK』という英単語らしきフレーズが聞こえるあたり、メンバーが英語と中国語を入り混じって使っているのだろうか。あるいはコンピュータのコマンドを口にしているのかもしれない。
次にソーは床に膝をつき、隙間から室内の様子を覗こうと試みる。わずかな光の射す隙間から見えるのは、複数のモニター。数人が立ち働いているようだ。うち一人は金髪に近い茶髪をしているように見え、もう一人は長い黒髪を後ろで結んでいる。
(男女混成のチームか……? むろん外国人もいるかもしれない) ソーが思考を巡らせた矢先、廊下の反対側から重い足音が聞こえてきた。誰かが階段を登ってきたようだ。ハッとして身を隠そうとしたが、逃げるには廊下の幅が狭すぎる。やむを得ず、ソーは非常階段へ戻る扉の陰に身を滑り込んだ。
足音が近づく。人影が廊下を通り、そのまま先ほどソーが覗いていた扉の前で立ち止まる。低い声で「開けろ」と中国語が聞こえた。すると中から電子ロックが解除される音がして、扉が開く。その人物は室内に入っていった。
(危なかった……) ソーは内心冷や汗をかきつつ、足音が消え去った後にそっと階段へ戻った。十分な証拠をまだ掴んだわけではないが、“センター”の存在を裏付けるに十分な怪しさだ。物理的な侵入はリスクが高いと判断し、ひとまず撤収することにした。
7.情報共有とCIAの反応
ホテルへ戻ったソーは、ノブがセットアップしたセキュア通信を使い、先ほどの録音データや現地での観察結果を本部に送信した。ノブがすぐに応答してくる。
「ソー、録音データありがとう。かなりノイズだらけだけど、解析してみる。話し声は英語と中国語が混ざってるみたいだし、キーワードっぽい単語がいくつかあるよ。DDoSとかサーバーとか……。やはりIT関連の連中で間違いないだろうね」
「頼む。何か面白い発見があったら教えてくれ」
ノブはさらにこんな情報を送ってきた。
「こっちでも通信ログを調べたら、米国や日本政府のサーバーへアクセスが集中していた時間帯と、香港のこのビルの回線が大量に使われていた時間帯が合致することがわかった。どうやらここが“センター”の主要拠点である可能性が高い」
ソーは画面を見ながら頷く。
「了解。それから、数時間前にCIAのアーロンにも連絡を入れた。近々、作戦をどうするか話し合う。もしCIAも場所を把握できているなら、一緒に踏み込むことも選択肢になる。ただ、政治的に敏感だから慎重に進めないと」
ノブは「わかった。ボスにも伝えておく」と返し、通信を切った。
翌日、ソーは再びアーロンと接触した。カフェで席に着くや否や、アーロンは開口一番にこう言った。
「We’ve found them.(我々も場所を突き止めた)」
「そっちも掴んだか。5階のオフィスだろう?」
ソーが言うと、アーロンは細かく頷きながらファイルを取り出す。
「その通りだ。君の情報提供もあって確信した。どうやら夜中に複数の国への大規模な攻撃が行われている。CIA上層部は現地での強行突入も検討しているが、中国側に見つかれば外交問題が起きる。香港警察との協力も期待できない。だから我々は慎重に動かざるを得ない。どうする? JSIAは何か作戦を?」
ソーは困惑気味に肩をすくめる。
「うちも同じだよ。正式な法的根拠を得ずに香港で行動すれば、日本と中国の関係が一気に悪化する恐れがある。そもそも香港警察と中国当局がどこまでグルかも分からない。これ以上情報を探りたいが、踏み込むにはリスクが大きすぎる」
するとアーロンは小さく唸ってから囁くように言う。
「実は、我々は香港で得た情報を中国本土にいる協力者に渡している。そこから“張飛”という人物が作戦をコントロールしているらしいことがわかった。“張飛”は中国共産党の秘密諜報部門の名だとも聞くが、どうも一個人のコードネームでもあるようだ。リーダーは“ゼロ”というハッカーで、“張飛”から直接の指示を受けているという噂だよ」
ソーの脳裏に李との会話が浮かぶ。「“張飛”も香港に時々来ているらしい」と言っていたが、その“張飛”が本土で拠点を構え、この“センター”を動かしている。背後には間違いなく人民解放軍や周平金・関羽瑠らの影がある。
「なるほど。“張飛”という存在を炙り出すのが、この一件の核心になりそうだな。俺たちもその方向で情報収集を続ける。君たちにも共有してもらえると助かる」
アーロンは「Of course.」と返し、今回の会合を切り上げた。
8.ビル外での張飛の姿
そんなある夜。ソーは再び例の雑居ビルを監視していた。雨上がりで夜風が蒸し暑い。ビルの向かいにある閉店後のショップの看板の陰に身を潜め、望遠レンズで5階の窓を覗く。すると、窓から薄明かりが漏れ、複数の人影が立ち働いているのがかすかに確認できる。
(やはり今夜も活動しているか……) ソーがじっと観察していると、ビルの正面に黒い車が止まった。運転手付きの高級車で、ナンバープレートには大陸で登録された痕跡がある。後部座席のドアが開き、姿を現したのは40代半ばほどの男。がっしりした体格で、濃い顔立ち。スーツ姿に黒い革靴。何やら只者でない雰囲気を漂わせている。
男はビルに入ろうとする直前、周囲を一瞥した。その一瞬、ソーは望遠鏡越しに男の目と目が合ったような錯覚を覚え、思わず身を引きそうになる。男の顔には冷徹な意志のようなものが感じられた。まるで自殺を図ろうとしていた周平金を抑え込んだという、あのタカ派将軍・関羽瑠の部下を連想させるような圧力感……。
(もしやこれが“張飛”か?) ソーは息を詰めてカメラのシャッターを押す。フラッシュやシャッター音が漏れないよう注意を払い、連写で顔を捉える。男はそのままスッとビルの中へ消えていった。時間にしてわずか数秒だったが、ソーには十分だった。しっかりと写真に収められたはずだ。
この男が雑居ビル内の“センター”を直接指揮しているならば、“張飛”の正体が濃厚だ。ソーはすぐにビル付近の公衆Wi-Fiにアクセスし、JSIA本部のノブへ写真を送る。返信が届いたのは数分後だった。
「ソー、ちょっと驚いた。これ、以前中国共産党の高官と一緒に写っていた人物と似てる気がする。以前の監視映像では暗くて顔が判然としなかったけど、特徴が一致する可能性が高い。間違いなく中国諜報部の大物だよ」
ソーは唇を引き結ぶ。
「やはりな。なら、ここには大物が直々に来ていることになる。つまりこの拠点こそ、彼らにとって最重要の拠点だ。……今夜、奴らが会議でもしているかもしれない」
9.CIAへの情報提供 “センター”解明へ
その翌朝、ソーはCIAのアーロンに連絡を取り、写真を共有することにした。アーロンは嬉々として反応する。
「Excellent job!(よくやった!) これは大きな進展だ。どうやら君が撮影した男は、中国の諜報将校の可能性が高い。俺たちも名前を割り出してみるよ。もしこいつが実際に“張飛”なら、今回の作戦の幹部は間違いなくそいつだ」
「俺たちもそう睨んでいる。何かしら具体的なアクションを起こすなら今だが……どうする?」
アーロンは苦渋の表情を浮かべる。
「それが問題だ。俺の上層部は武力突入や拘束は時期尚早と考えている。政治的リスクが大きいんだ。第一、香港警察の協力なしでは公的根拠がないし……。一方、やつらの活動をもう少し泳がせて、背後にいる軍部や周平金の動きを掴みたいとも思っている」
ソーもうなずく。確かに、まだ“センター”の全容が把握できていない。主要メンバーが何人いて、どんな攻撃を計画しているのか、細部が不明だ。だが、一方で彼らのサイバー攻撃が続けば日本やアメリカの被害は大きくなる。膠着状態が続くのは危険だ。
「とりあえず奴らのアジトとメンバーリストを洗い出すのが先決だな。こちらも引き続き尾行や盗聴を試みる。CIAが別ルートで掴んだメンバー情報があれば、そっちも頼む」
アーロンは同意して、通信を切った。
10.“センター”メンバーの割り出し
数日が経過した頃、ソーの地道な監視とノブのサイバー解析の成果が出始めた。ビルに出入りする人数や時間帯を記録した結果、どうやら5人前後の固定メンバーが深夜から明け方にかけて活動していることがほぼ判明した。さらに、彼らが使う車両や、外出の際に向かう先などをこっそり追跡することで、一部の偽装された会社事務所やアパートも突き止めた。
ノブの解析では、“センター”というハッカー集団にはそれぞれコードネームを持つメンバーがいるらしいとの情報が得られた。具体的には「ゼロ」「ラビリンス」「ムック」「ブラスト」「ホイール」という5名である。これらは、ネット上のハッカーフォーラムなどで断片的に目撃されていたハンドルネームでもあるという。
「ソー、どうやらその5人が香港拠点の中核メンバーのようだ。いま判明してる範囲では、リーダーは“ゼロ”と呼ばれる人物で、英語と中国語を自在に操るらしい。他の4人も専門分野が分かれている。例えば“ラビリンス”は暗号技術、“ムック”はソーシャルエンジニアリング、“ブラスト”はネットワーク攻撃、“ホイール”はマルウェア作成など……まさにプロ集団だ」
ノブの報告に、ソーは通信越しに唸る。
「なるほど、実力派が揃っているわけだ。そりゃあ世界の政府機関も手を焼くはずだ。ところで、彼らの真の身元は掴めそうか?」
「それが難航してる。少なくとも名前や生まれた国籍などがバラバラで、フェイクばかり。リーダーの“ゼロ”はどうも香港出身っぽいが、本土にルーツがある説もあるし、むしろ東南アジア系とのハーフという説もある。判明しているのは、彼らが確実に高額の報酬をもらって活動しているということ。そして、その報酬源が中国本土にある複数の口座らしいということ」
「報酬源=“張飛”か、中国当局の隠し資金……か。了解、引き続き探ってくれ」
11.中国本土の指揮官僚を割り出す
一方で、JSIA本部ではノブが海外のサイバー・インテリジェンス企業のデータベースや、CIA経由の情報も照合しながら、中国本土で“センター”に指示を出している高官の割り出しに成功しつつあった。その名は劉志鵬(りゅう・しほう)。しかし、彼には“張飛”という別称があることが判明した。
「この劉志鵬という人物は、もともと中国共産党の対外宣伝部に在籍していたが、実際には軍系諜報部門と深く繋がりを持っていた。しばらく前から汚職の疑いもあったけど、関羽瑠がバックに付くことで罰を逃れているらしい。つまり、軍部の庇護を受けた諜報員だな」
ボスの栗山はノブからの報告を聞き、唸るように言う。
「やはりそうか……“張飛”は個人のコードネームであり、同時に諜報部門の名称でもあるのか。これは厄介だ。連中が下手人だと証拠を掴んでも、中国政府は『個人的な犯罪だ』とか『我々は関与していない』とか言い逃れをするだろうな。政治的にどう転ぶかわからない」
イッチが拳を握りしめながら低く唸る。
「ったく、汚ぇ連中だ。現場で働くやつらは命懸けなのに、上の連中は責任を取ろうとしない。やってられんよ」
栗山はそんなイッチをなだめるようにうなずき、改めて全員に指示を出す。
「現在、ソーが香港で潜入調査中だが、彼からの報告で“センター”の活動拠点とメンバーの大枠は把握できた。中国本土では“張飛”こと劉志鵬という高官が指揮をとっているらしい。よし、これをCIAに共有し、国際世論を巻き込む形で圧力をかける手もある。だが、もう少し決定的な証拠が欲しい。ノブ、引き続き通信傍受やログ解析を頼む。イッチ、マッチョ、ムネは万が一ソーが危険に陥った時の緊急展開に備えておいてくれ」
チーム全員が「了解!」と声を揃える。JSIAの作戦は確実に進んでいた。
12.CIAも本腰を入れる
CIA側も、ソーたちJSIAから得た情報をもとに本格的な捜査を始めた。香港に潜んでいる“センター”が、いかに危険な存在であるかを上層部にアピールし、独自の工作員を追加派遣しているという噂があった。
アーロンからソーへの連絡が入り、「もう少しで現地で大きな動きがあるかもしれない」と仄めかされた。具体的には言えないが、CIAは内部の専門チームを動員して“センター”の通信を直接傍受し、彼らが次にどんな攻撃を仕掛けようとしているのか探るつもりらしい。
「もし“センター”が再度大規模DDoSや侵入を行うなら、その瞬間がチャンスだ。彼らが発信する通信をトレースし、逆にマルウェアを仕掛けることができれば、拠点の詳細を丸裸にする可能性がある。狙いはあくまで証拠集めだ」
アーロンが熱っぽく語るのを聞き、ソーも期待を募らせる。やがて来るであろう戦いのために、今は全力で情報を積み上げるしかない。
13.“張飛”と“ゼロ”の会話
ある深夜。ビルを監視していたソーは、なんと“張飛”とおぼしき男が再びビルに入った直後、しばらくしてから勢いよく出てくる姿を目撃した。車に乗り込む際、男はスマホで誰かと険しい表情で会話している。思わずソーは小型マイクを向け、可能な限り録音を試みた。
ノイズが激しい中、断片的に聞こえてきたのは中国語による会話。
「……ゼロ……米国と日本が気づき始めている。……早めに潰さねばならん……香港で派手なことをするな……台湾にシフト……」
(台湾……まさか近く台湾への軍事的挑発を強めるつもりか?) ソーの頭を冷たい衝撃が走る。中国軍が台湾海峡での演習をさらに強化し、武力行使も視野に入れているとの情報はJSIA内でも共有されていた。しかし、具体的な動きがこれほど早い段階で計画されているとは……。
一方、ビルの5階では“ゼロ”がメンバーらしき人物と口論めいたやり取りをしているのが窓越しに見えた。ワンフロア丸々使っているらしいそのオフィスからは、しばらく激しそうな議論が続いた後、やがてライトが落とされる。メンバーらは順次退去し、“ゼロ”らしき男も夜明け前に出て行った。
ソーは引き続き気配を消して監視を続ける。これで確実に分かったのは、“センター”が台湾へのサイバー攻撃を含む、軍事侵攻の準備をサポートしているらしいということだ。今のところ日本への直接攻撃は小康状態だが、油断はできない。
14.JSIAとCIA、ついに一体化した捜査
翌日、ソーはアーロンとの打ち合わせで録音を共有した。CIA側もこれを聞いて驚愕し、即座に上層部に報告したという。アーロンは苦々しげに言う。
「やはり中国軍部は台湾に狙いを定めている。南シナ海や香港、マカオだけじゃ飽き足らず、最終的には台湾を武力制圧する気だ。これは米国にとっても絶対に看過できない。場合によっては本格的な軍事衝突に発展しかねない。連中のサイバー攻撃は、その前兆にすぎないってわけだ」
「俺たち日本も、台湾海峡の有事は他人事じゃない。尖閣諸島の問題もあるし、日本の安全保障に直結する。……どうやらこれは世界を巻き込む大事になりそうだ」
ソーの言葉に、アーロンは深く溜息をつく。
「現時点で我々ができることは、“センター”の活動をできる限り止めることだ。中国軍の手足となるサイバー攻撃を封じ込めれば、軍事行動もやりづらくなる。ところが、政府レベルでは慎重論が支配的だ。中国を敵に回すのは大変なリスクだからね」
ソーは唇を噛む。
「国際政治の駆け引きは知っているが、今は手をこまねいているわけにはいかない。JSIAとしても、近々アクションを起こすかもしれない。CIAが協力してくれれば、ベストなんだが」
アーロンは一瞬間を置いた後、声を落として言う。
「……君たちJSIAが何らかの作戦を実行するとなれば、俺は非公式に協力を惜しまない。しかし、正規の手順を踏んだ支援はできない。もし問題が起きればCIAは公式には関与を否定するだろう。悪いが、ここはそういう世界なんだ」
ソーは理解していた。そういう世界だからこそ、彼らは裏で動く。JSIAもCIAも表に立てない戦いを遂行するのが使命なのだ。
15.拠点の全貌を確信——ミッション完了
最終的にソーは、香港での潜入任務を終了する段階に入った。というのも、すでに“センター”の拠点が5階オフィスだけでなく、近隣の倉庫や幾つかのアパートを含む複数拠点であることが判明し、主要メンバー5名の動向も大枠把握できたからだ。日本国内からのノブの解析、CIA側の協力、そしてソー自身の地道な尾行と監視によって、決定的な証拠が揃いつつある。
帰国前夜、ソーは尖沙咀のホテルの一室で通信を行う。画面の向こうにはJSIA本部のメンバーたちが勢揃いしていた。ボスの栗山が静かに口を開く。
「ソー、ご苦労だった。大きな成果だぞ。ここまでわかった情報があれば、我々は“センター”の壊滅作戦を具体的に検討できる。CIAや米国国防総省の一部とも連携可能だろう。アメリカは台湾問題には深くコミットする立場だからな」
「ありがとうございます。まだ詳細は詰めきれていませんが、やはりリーダー“ゼロ”以下5名が主要メンバー。バックには“張飛”こと劉志鵬がいて、中国軍部の関羽瑠将軍がさらに後ろ盾。それを周平金が黙認、あるいは利用している形だと思われます」
ボスは頷き、イッチやマッチョ、ムネ、ノブ、そして佐々木や峰不二子へ指示を送る。
「皆、作戦準備だ。次章では、いよいよ“センター”を殲滅するためにJSIA総力を挙げる。政治家は動けない。だからこそ我々が動くのだ。おそらく死闘になるが、後に引くわけにはいかない。いつ中国の軍事行動が本格化するか分からんからな」
するとノブが画面越しに口を開く。
「香港からのサイバー攻撃はさらに激しさを増している。アメリカの一部サーバーがダウンし、日本の行政サービスにも障害が起きているよ。防衛省関連のネットワークはかろうじて持ちこたえているけど、あまり長くはもたないかもしれない」
「わかった。攻撃の手は早急に断つ必要があるな。ソー、帰国次第、我々の作戦会議に合流してくれ。過去のどんな任務よりも危険かもしれんが、君の活躍に期待している」
ソーは力強く頷く。
「はい。香港で得た情報をフルに活かしましょう。一連のサイバー攻撃の首謀者“センター”を止めない限り、日米や台湾、さらには世界規模の戦争に発展しかねません。やりましょう、ボス」
こうしてソーの香港潜入任務はひとまず完了した。だが、これはまだ序章にすぎない。“センター”との対決はこれから本格化し、世界を震撼させる出来事へと発展していくのである。
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